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最高裁判所第三小法廷 昭和43年(あ)821号 決定

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人重松蕃、同樋口幸子の上告趣意第一点および弁護人重松蕃の上告趣意補充について。

刑訴法一六一条一項は、証言拒否罪の成立要件について「正当な理由がなく……証言を拒んだ者」と規定している。ここに「正当な理由がなく」とは、同法一四六条、一四七条、一四九条所定の事由がある場合のように、証言の拒否が適法とされる場合が少なくないために、そのような事由のない違法なものについてだけ証言拒否罪が成立するものであることを明らかにしたものであつて、同罪の構成要件は、証人が、証言を拒んだということであると解すべきである。したがつて、証人が尋問に対して証言を拒めば、ただちに同罪の構成要件を充足し、右拒否が前記の適法とされる事由にあたる場合にのみ違法性が阻却され、同罪が成立しないことになるだけのことである。

もつとも、刑訴規則一二二条は一証言を拒む者は、これを拒む事由を示さなければならない。証言を拒む者がこれを拒む事由を示さないときは、過料その他の制裁を受けることがある旨を告げて、証言を命じなければならない」と規定しているが、これは証人尋問の手続を円滑、迅速に進行させるための手続的な規定であるに過ぎず、この規定に違反して、証人が証言を拒む事由を示さなかつたからといつて、ただちに、前記の適法とされる事由がないことにはならないし、反対に、裁判官が証言を命じなかつたからといつて、適法とされる事由があることにはならないわけである。なお、もし、証人が、前記の適法とされる事由がない場合であるのに、事実上法律上の判断を誤つて証言を拒んだ場合に、証言拒否罪が成立するか否かは、他の一般の犯罪についての錯誤の問題と同様であつて、証言拒否罪だけを別異に取り扱う必要はみあたらない。

以上のとおりであつて、同罪の構成要件が明確を欠くものとはいえず、また、証人に対して責任を問われる虞のある事項について供述を強要するものともいえないから、所論憲法三一条、三八条一項違反の主張は、前提を欠き、その余は、単なる法令違反の主張であつて、上告適法の理由にあたらない。

弁護人樋口幸子の上告趣意(補充を含む。)第二点のうち、憲法一四条違反をいう点は、本件起訴が、被告人らが労働者または労働組合員であることを理由にしてなされたものであると認めるに足りる証跡がないから、前提を欠き、その余は、単なる法令違反、事実誤認の主張であり、同第三点ないし第五点は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、いずれも上告適法の理由にあたらない。

また、記録を調べても刑訴法四一一条を適用すべきものとは認められない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。(飯村義美 田中二郎 下村三郎 松本正雄 関根小郷)

弁護人の上告趣意

第一点 刑事訴訟法一六一条一項および憲法三一条、同三八条一項違反

一、原審における弁護人の控訴趣意第二点の(一)、同補充趣意第二、控訴趣意第三点の(一)、同補充趣意第三および控訴趣意第三点の(三)の(1)、同補充趣意第五の一の各主張を総括した要旨は、およそつぎのとおりである。

すなわち、刑事訴訟法第一六一条一項は、刑事手続の公正、円滑な運営を保障するため、証人の証言義務の履行を保護法益とし、訴訟法が証人に課した訴訟手続上の作為義務、すなわち宣誓、証言の義務違反に対する刑罰規範である(この点において実体的真実義務違反を違法要素とする偽証罪とは性質を異にする)。

証人の証言義務は、当該証人が特定の訴訟手続と喚問され、個々の質問を受けたとき具体的に発生するものであるが、手続上の不作為すなわち証言拒絶が直ちに法一六一条一項に該当するのではない。

法一六一条は、証言義務違反罪であるから、訴訟手続上の訴訟行為としての証言義務、作為義務の具体的存在を前提とするのは当然である。

証言義務は、証人として喚問せられたとき一般的に発生すると考えられるが、個々の質問に対する具体的証言義務は、訴訟法上の手続の具体的効果として発生するものである。

証言を拒む者は、事由を示すことを要し、事由を示さないときは、裁判長又は裁判官は、制裁を警告して証言を命じなければならない(刑事訴訟規則一二二条)。

証言を拒む事由を示したときについては、特別の手続を定めていないが、事由が示されたときは、その開示された事由につき、その当否が裁判長によつて判断されなければならないことは論理上当然の事理である。

その際、正当な理由に当らない旨判示され、証言を命じられたとき、はじめて証言義務が具体的に発生し、これに服しないときに証言義務違反の構成要件に該当するものである。

これに反し、開示した事由につき、当該裁判長又は裁判官の判断が確定的に判示されず、尋問手続を終結したときは、証人の証言拒絶権は黙示的に認容されたことに帰し、法一六一条違反は成立しないのである。

本件においては、各被告人は、それぞれ自己が刑事訴追をうけるおそれがある旨理由を示した(法一四六条、規則一二二条)のに対し、各裁判官は、その当否を判断せず、また証言を命じてもいないのであるから、被告人らの証言拒絶は黙示的に認容されたことに帰し、当該証言義務は具体的に発生していない場合であるから、法一六一条の「正当な理由なく」証言を拒んだことに当らないことは明白である。

前記のように解することは、憲法三八条一項が自己負罪拒否の特権を基本的人権として保障し、刑事訴訟法一四六条は、その保障手続の一部に属すること、のみならず憲法三一条がいわゆる適法手続による保障を明記した趣旨にそうものと信ずる(民事訴訟法二八三条、二八四条参照)。

個人の行動にあらかじめ指針を与えることなく、行為の後になつて刑罰を科することは、国民の法的安全を侵害し、罪刑法定主義の原則に違反するばかりでなく、実体法の明確性、合理性を要請する憲法三一条に違反するものである。

二、前記弁護人の主張に対し、原判決は、理由の三、六および八において判断を示したが、その論旨は、要するに、証人が証言を求められた事項について、法律上証言を拒むことが許されるものと判断してその証言を拒んだ場合においても、当該事項が客観的判断において法律上証言を拒むことを許されず、証言拒否権の範囲に属しないものであるときは、裁判官がその旨を告げて証人に対して証言命令を発したかどうかにかかわりなく、証言拒否罪の構成要件を充足し、また違法性を阻却されることなきものと解すべきであるとし、弁護人の前記各主張を排斥したものである。

三、しかしながら、原判決の右判断は、証言義務違反における手続法上の義務違反の性格を証人の真実義務を保障する実体刑法の偽証罪の実体的性格と混同し、当然訴訟手続を主宰する裁判長又は裁判官の訴訟指揮権および証人の証言拒絶権行使の手続法上の効果等を完全に没却して立論している。

したがつて、刑事訴訟法一六一条一項の解釈、適用を誤り、憲法三一条および三八条に違反するものと思料する。

弁護人の上告趣意(補充)

第一点 刑事訴訟法第一六一条一項および憲法三一条、同三八条一項の違反に関する主張の補充

(1) 憲法三八条一項違反

憲法三八条一項は、「何人も自己に不利益な供述を強要されない」と定めているが、法理的には米国憲法修正五条の「何人も……刑事事件において自己に対する不利益な証人となることを強要されない」という条規に由来するといわれていることは周知のとおりである。

一般に「自己負罪拒否の特権」ないし「黙否権」と呼ばれる。「自己に不利益な」とは、自己が刑事責任を問われるおそれを意味し、「供述を強要されない」とは、証言拒否の権利を意味している。

したがつて、刑事訴訟法一四六条の証言拒否権は憲法三八条一項に基づくものであつて、自己負罪拒否の特権の一部をなすものであることはいうまでもない。

米国連邦最高裁判所ホフマン事件判決(河原畯一郎「基本的人権の研究」参照)は「修正五条は、何人も刑事事件において、自己に不利益な証人となることを強要されないと定めているが、この規定には、保障せんとした権利が有利となるように自由な解釈が与えられなければならない。……この保障は証人が直接の回答から危険を危惧すべき合理的理由を有する場合に限定されなければならない」と説示していることに注目する必要がある。

証人の権利が有利となるように自由な解釈を与えることが憲法の要請とされ、証言拒否権の範囲が、危険を危惧すべき合理的理由のある場合に限定されるのであるならば「合理的理由」の存否したがつて証言拒絶権の具体的限界の判断は尋問手続を主宰する裁判長又は裁判官によつて明確になされることを必要とする。

前掲ホフマン事件判決は「彼の沈黙が正当化されるか否かを決定し、彼が誤つていることが明らかであると認められる場合には、答弁を要求することは裁判所の任務である」と説示している。

原判決の解釈するように、裁判官が証言を命じたか否かにかかわりなく、当該事項が客観的判断において証言拒否権の範囲に属しないものであるときは証言拒否罪に該当するものとすれば、証人の行為(不作為)のときに何ら判断が示されず行為の後に、他の刑事手続において始めて可罪要件としての正当理由の欠如が判断されるということになり、証人は証言拒絶という特権の存否が後に検察、裁判所によつて如何に認定され、処断されるか予測し難いという状況のなかで権利の行使を余儀なくされるのである。

これでは、基本的人権として証言拒否の特権は、全くその実効性の保障を失うことは明白であつて、憲法三八条一項の趣旨に違反することになる。

(2) 憲法三一条違反

憲法三一条は「何人も法律の定める手続によらなければ、その生命もしくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」と定める。

法律は、個人の将来の行動に対して指針を与えるものであるから、如何なる行為が刑罰にふれ、如何なる行為が刑罰を避けるに必要であるかに関し、告知を与えるに充分明確であることを要する。

この原則から刑事訴訟法一六一条を考察すると、その明確性に疑いがあるが、これを合理的に解釈するとすれば、証人の証言拒絶権行使に対して、その事由が正当でないと明らかに認められる場合には、裁判長又は裁判官は、制裁が科される旨を告げて、証言を命じなければならないことを当然に予定しているものと解しなければならない。

なぜなら、行為のときに、証言拒絶の具体的限界について、証人の自由に委ねながら、行為の後にその行為の刑事責任を問うごときは明白な矛盾であつて、裁判長又は裁判官の命令があつてこそ、そこではじめて証人は証言拒絶権の不存在したがつて証言義務および義務違反に対する制裁の存在を具体的に認識し、その命令に服するか、それとも刑罰をうけても秘密を保持するかの意思決定の機会を与えられるからである。

原判決の前段指摘の法一六一条の解釈は、結局個人の行動にあらかじめ指針を与えることなく行為の後になつて、闇うちに刑事責任を追及することを意味し、国民の法的安全を侵害すること甚しく明らかに憲法三一条の保障に反する違憲の解釈である。

(3) 仮に原判決の解釈が容認されるものとすれば、刑事訴訟法一六一条は正しく憲法三八条一項および三一条に違反する違憲無効の条項というべきである。

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